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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)12752号 判決

原告 株式会社甲田

右代表者代表取締役 甲野太郎

〈ほか二名〉

右原告ら訴訟代理人弁護士 田中嘉之

同 吉田裕敏

同 山浦善樹

被告 興亜火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役 穂苅實

被告 大東京火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役 塩川嘉彦

右被告ら訴訟代理人弁護士 島林樹

右訴訟復代理人弁護士 藤本達也

右被告ら訴訟代理人弁護士 中杉喜代司

被告 日本団体生命保険株式会社

右代表者代表取締役 尾高一

右訴訟代理人弁護士 遠藤誠

被告 住友生命保険相互会社

右代表者代表取締役 千代賢治

右訴訟代理人弁護士 川木一正

同 松村和宜

同 長野元貞

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告興亜火災海上保険株式会社は、原告甲野太郎に対し金一二五〇万円、原告甲野花子に対し金一二五〇万円及び右各金員に対する昭和五八年一一月一日から各完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

2  被告大東京火災海上保険株式会社は、原告株式会社甲田に対し金一〇〇〇万円及び右金員に対する昭和五八年一一月一日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

3  被告日本団体生命保険株式会社は、原告株式会社甲田に対し金一〇〇〇万円及び右金員に対する昭和五八年一一月一日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

4  被告住友生命保険相互会社は、原告株式会社甲田に対し金一億〇九〇〇万円、原告甲野太郎に対し金二五〇万円、原告甲野花子に対し金二五〇万円及び右各金員に対する昭和五八年一一月一日から各完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

5  訴訟費用は、被告らの負担とする。

6  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告株式会社甲田(以下「原告会社」という。)は、昭和五八年六月一三日、被告興亜火災海上保険株式会社(以下「被告興亜火災」という。)との間で、別紙第一保険契約目録一記載のとおり、自家用自動車保険契約を締結した(以下「本件第一保険契約」という。)。

(二) 原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)は、昭和五五年四月二八日、被告興亜火災との間で、別紙第一保険契約目録二記載のとおり、積立ファミリー交通障害保険契約を締結した(以下「本件第二保険契約」という。)。

(三) 原告太郎は、昭和五八年二月二日、被告興亜火災との間で、別紙第一保険契約目録三記載のとおり、家族傷害保険契約を締結した(以下「本件第三保険契約」という。)。

2  原告会社は、昭和五五年三月一日、被告大東京火災海上保険株式会社(以下「被告大東京火災」という。)との間で、別紙第二保険契約目録記載のとおり、普通傷害保険契約を締結した(以下「本件第四保険契約」という。)。

3  原告会社は、昭和五五年三月一日、被告日本団体生命保険株式会社(以下「被告日本団体生命」という。)との間で、別紙第三保険契約目録記載のとおり、無配当新定期保険契約を締結した(以下「本件第五保険契約」という。)。

4(一)  原告会社は、昭和五七年七月一日、被告住友生命保険相互会社(以下「被告住友生命」という。)との間で、別紙第四保険契約目録一記載のとおり、定期付養老保険契約を締結した(以下「本件第六保険契約」という。)。

(二) 原告太郎は、昭和四八年三月一日、被告住友生命との間で、別紙第四保険契約目録二記載のとおり、定期付養老保険契約を締結した(以下「本件第七保険契約」という。)。

5  訴外甲野二郎(以下「二郎」という。)は、昭和五八年七月一四日ころ、岩手県和賀郡湯田町草井沢国有林地内の南本内川林道を、前記車両を運転して走行中、過って同町四七地割地内草井沢国有林三一七林斑内南本内峡案内標柱付近から、南本内川に転落して死亡した。

6  二郎の法定相続人は、同人の父である原告太郎と同人の母である原告花子である。

7  原告三名は、被告らに対して、前記各保険契約に基づいて、次のとおり、保険金支払請求権を取得した。

(一) 被告興亜火災関係

(1) 原告太郎の取得分 合計金一二五〇万円

(内訳) 本件第一保険契約に基づく自損事故による死亡保険金七〇〇万円と同じく搭乗者傷害による死亡保険金三五〇万円、本件第二保険契約に基づく死亡保険金一〇〇万円、本件第三保険契約に基づく死亡保険金一〇〇万円

(2) 原告花子の取得分 合計金一二五〇万円

(内訳) 本件第一保険契約に基づく自損事故による死亡保険金七〇〇万円と同じく搭乗者傷害による死亡保険金三五〇万円、本件第二保険契約に基づく死亡保険金一〇〇万円、本件第三保険契約に基づく死亡保険金一〇〇万円

(二) 被告大東京火災関係 金一〇〇〇万円

(内訳) 本件第四保険契約に基づく死亡保険金一〇〇〇万円

(三) 被告日本団体生命関係 合計金四〇〇〇万円

(内訳) 本件第五保険契約に基づく死亡保険金三〇〇〇万円と同契約の災害割増特約に基づく災害死亡保険金一〇〇〇万円

(四) 被告住友生命関係

(1) 原告会社の取得分 合計金二億五九〇〇万円

(内訳) 本件第六保険契約に基づく死亡保険金一億五〇〇〇円、同契約の災害割増特約に基づく災害死亡保険金と傷害特約に基づく災害保険金の合計金一億〇九〇〇万円

(2) 原告太郎の取得分 合計金五〇〇万円

(内訳) 本件第七保険契約に基づく死亡保険金二五〇万円、同契約の災害割増特約に基づく災害死亡保険金二五〇万円

(3) 原告花子の取得分 合計金五〇〇万円

(内訳) 本件第七保険契約に基づく死亡保険金二五〇万円、同契約の災害割増特約に基づく災害死亡保険金二五〇万円

8  原告三名は、遅くとも昭和五八年九月三〇日までには、被告らに対して、本件事故が発生したことを通知し、併せて約定の各保険金の支払を請求した。

9  よって、(一)原告太郎と同花子は、被告興亜火災に対し、本件第一ないし第三保険契約に基づきそれぞれ保険金一二五〇万円、(二)原告会社は、被告大東京火災に対し、本件第四保険契約に基づき保険金一〇〇〇万円、(三)原告会社は、被告日本団体生命に対し、本件第五保険契約に基づき、支払済みの死亡保険金三〇〇〇万円を除く保険金一〇〇〇万円(災害割増特約に基づく災害死亡保険金の部分)、(四)(1)原告会社は、被告住友生命に対し、本件第六保険契約に基づき、支払済みの死亡保険金一億五〇〇〇万円を除く保険金一億〇九〇〇万円(災害割増特約に基づく災害死亡保険金と傷害特約に基づく災害保険金の部分)、(2)原告太郎と同花子は、被告住友生命に対し、本件第七保険契約に基づき、それぞれ支払済みの死亡保険金各二五〇万円を除く保険金各二五〇万円(いずれも災害割増特約に基づく災害死亡保険金の部分)、並びに右(一)ないし(四)の各金員に対する保険金支払請求の後であることが明らかな昭和五八年一一月一日から右各完済に至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

二  請求原因に対する被告らの認否

1  請求原因1ないし4の各事実は認める。

2  請求原因5の事実中、二郎が昭和五八年七月一四日ころ死亡したことは認め、死亡の場所及び死因の態様については否認する。

3  請求原因6の事実は認める。

4  請求原因7は争う。

5  請求原因8の事実は認める。

三  抗弁

1(一)  被告興亜火災関係

本件第一保険契約については、自家用自動車保険普通保険約款自損事故条項三条一項四号及び二条一項三号において、本件第二保険契約については、積立ファミリー交通傷害保険普通保険約款一六条一項三号において、本件第三保険契約については、家族傷害保険普通保険約款六条一項三号において、いずれも被保険者の自殺行為による死亡の場合、保険者は、保険金の支払責任を負担しない旨を規定している。

(二) 被告大東京火災関係

本件第四保険契約については、傷害保険普通保険約款三条一項三号において、被保険者の自殺行為による死亡の場合、保険者は、保険金の支払責任を負担しない旨を規定している。

(三) 被告日本団体生命関係

本件第五保険契約については、同契約の災害割増特約条項一三条一項一号において、被保険者の故意又は重大な過失による死亡の場合、保険者は、災害死亡保険金の支払の責任を負わない旨を規定している。

(四) 被告住友生命関係

本件第六保険契約については、約款において、不慮の事故を直接の原因とする場合のみ、死亡保険金を支払うものと定め、被保険者の故意又は重大な過失による死亡の場合、保険者は、災害死亡保険金及び災害保険金の支払責任を負わない旨を規定している。

2(一)  二郎は、自家用自動車「マツダファミリア」(岩手五六な六一―一五)が転落した岩手県和賀郡湯田町四七地割地内草井沢国有林三一五林斑内南本内峡から約三〇〇メートル下流に架かる吊り橋から投身自殺した。

(二) 仮にそうでないとしても、二郎は、同車両を運転して同所三一五林斑内付近に差し掛かり、車両に搭乗したまま崖下の南本内峡に故意に転落する方法により自殺した。

(三) 仮にそうでないとしても、二郎は、夜間、一方が深い渓谷になっている細い林道を不適当な高速度で車両を運転して、ハンドルを急転把し、その結果、南本内峡に転落したのであるから、本件事故は、被保険者の重大な過失によって生じたものである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の各事実は認める。

2  抗弁2の各事実は否認する。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求原因1ないし4の各事実はすべて当事者間に争いがない。

二  請求原因5の事実のうち、本件各保険契約の被保険者である二郎が昭和五八年七月一四日ころ死亡したことは、当事者間に争いがない。また、抗弁1の各事実も、当事者間に争いがない。

そこで、以下、二郎の死亡が、同人の自殺行為によるものか否かについて判断する。

1  自殺の動機について

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

原告太郎は、木材業等を営む原告会社の代表取締役社長であり、その弟である訴外甲野松夫(以下「松夫」という。)は、同社の副社長であり、また、原告太郎の次男である二郎は、同社の常務取締役であった。原告太郎は、将来は二郎を後継者にする意志でいた。原告太郎は、松夫が昭和五八年七月一〇日腎臓病で死亡した際、その葬儀委員長となり、二郎は、同実行委員長となった。原告太郎と二郎は、同月一五日に予定していた本葬の準備を進める中で、本葬の席順について意見の衝突を来し、また、同月一二日ころには、会社経営の建て直しの問題についての話をすぐにすることについて紛議を来した。原告太郎と二郎らは、同月一三日も、終日松夫宅において本葬の準備をし、夜七時には御念佛を行ったが、その直後、二郎は、医者に飲酒を禁じられていた原告太郎が飲酒するのを見て同人の体を心配し、帰宅することを勧めたところ、原告太郎が二郎の手を振り切って帰宅を拒んだため憤慨し、本葬の準備についての書類を持って、ひとり小型乗用自動車(岩五一な六一―一五)に乗り、夜一〇時ころ松夫宅を出て行ってしまった。二郎が翌一四日の朝になっても帰って来なかったため、原告会社の社員らは車で二郎を捜しに行った。原告太郎は、一四日と一五日の両日、北上警察署川尻警察官派出所長野中二郎に対し、二郎が失踪した自殺を図る危険もある旨を申告し、二郎に関する情報を求めた。同月一六日の朝には、原告太郎の長男一郎から正式な非公開家出人捜査願が出されたが、その失踪の理由として、松夫の死亡による落胆と、葬儀準備の際の家族との意見の対立が挙げられていた。翌一七日、原告太郎は、菊地久栄巡査部長の事情聴取において、右の失踪の事情を述べて、二郎が自殺した虞れもある旨を供述した。そして、同日午前九時三〇分ころ、原告会社の従業員が、岩手県和賀郡湯田町四七地割地内草井沢国有林三一五林斑内南本内峡河原において、その西側の高さ約六九メートルの崖の上にある林道三一五林般(国道一〇七号線大石地内から南に入りJR東日本北上線陸中大石駅南方約九・三キロメートル、和賀郡湯田町四八の一九〇の六小田島政吉方前通路三差路分岐点を右に約五・五キロメートル地点。以下「本件車両転落箇所」という。)から転落したと見られる前記車両を発見し、続いて、同日午後二時四〇分ころ、同じく原告会社の従業員が、右車両発見場所から南本内川の約三〇〇メートル下流に架かる吊り橋(これを以下「本件吊り橋」という。)の直下の水中に、頭部を下流に向けてうつぶせになり、両腕を万歳したような姿勢で沈んでいる二郎の死体を発見した。

《証拠判断省略》

《証拠省略》によれば、二郎は、家族や社員らと意見の対立があって感情が治まらないときは、ひとりで車に乗って山や川へ出かけ、外泊をしては、気分転換をして翌朝の会社の始業時間までには帰って来ることを度々繰り返していたこと、原告太郎も、二郎にとっては学生時代と違って、周囲が全部年齢が上で色々な人間関係が現出し溶け込むことが難しかったであろうと感じていたこと、しかも、二郎は、木材業界不況の中、原告太郎の後継者として、これから原告会社を背負って立とうという矢先、最も便りにする松夫を失って落胆していたことが認められ、これらの事実と、二郎が失踪する直前までの前記認定の経緯によれば、二郎につき自殺の準備状態と直接動機があったと認めることも十分可能と考えられる《証拠省略》もこのことを裏付けている)。

2  遺体の状況と本件吊り橋付近の状況について

《証拠省略》によれば、本件吊り橋は、南本内川の水面から約八・五メートルの高さにあり、二郎の遺体が沈んだ状態で発見された位置は、水深が約九五センチメートルであり、前記林道の対岸にある滝より流れ込む水流のため本流に渦を巻く滝壺状の淵があったこと、遺体発見場所付近は、波状ないしギザギザ状の鋭利な岩盤があり、本件吊り橋の直下にはその岩盤が剥き出している部分もあること、同遺体の顔面鼻部には、鼻背に沿う形で縦六センチメートル、横一・五センチメートル、深さ三センチメートルくらいの脳に届く穴状の創傷があり、脳が既に全部流出して空洞状態となっていたこと、ほかにも前額部に横九センチメートル、縦一センチメートルの挫創、右眉の上に一×〇・三センチメートルの創があったこと、舌尖歯列内にして閉じている状態の口部には下顎骨に骨折があったこと、上下肢は、左膝に二×一センチメートル大の皮下出血を伴う打撲痕がある程度で、特には骨折も打撲もなかったこと、頸部、胸腹部には損傷がなかったこと、背部には、左肩部付近に一・五センチメートル大の、左肩押部付近に一〇センチメートル大の、左肩峰部分に一一×六センチメートル大の、左肩押部分に一四×九センチメートル大の、左腰部腸骨窩部分に一一×四センチメートル大の、いずれも皮下出血を伴う打撲痕があったこと、総じていえば、頭部の前面がすべて粉砕骨折の状態であったことに対し、その他の身体部分には大きな損傷がなかったことが認められる。そうすると、本件吊り橋の下の岩盤の形状、本件吊り橋の高さに照らし、二郎が本件吊り橋から直下の南本内川に飛び込み、剥き出した岩盤に直接顔面を激突させ一次的に顔面ないし頭部に、二次的に肩部等にそれぞれ前記認定の損傷が生じたものと推認するのが自然である。また、吊り橋から足を滑らせるなどして、過って川に転落したとするならば、頭を上に足を下にして落下した場合は下肢に大きな損傷が生ずることが多く、そうではなく、頭を下にした場合には、自分の身体を防御しようとして手で身体を庇うのが普通であり、上肢に大きな損傷が生ずると考えられるのにもかかわらず、右に認定したように、上肢には特に骨折も打撲もなく、下肢に軽い打撲痕がある程度であったから、二郎は、過って川に転落したものと推認するだけの根拠はない。また、《証拠省略》によれば、本件吊り橋の直下の岩盤には、血痕その他身体の一部は残置されていなかったことが認められるが、そこは水際であるから、遺体が発見されるまでの三日間で洗い流されていることが考えられるので、右事実は本件吊り橋から投身したと推認することを妨げるものではない。

もっとも、検証の結果によれば、本件車両転落箇所から本件吊り橋までは、林道を約三〇〇メートル前記三差路方向へ戻り、そこにある木材搬出のための広場の南東側から、繁く生い茂った草木の中の急勾配の狭い山道を更に約五〇メートル下る行程であり、特に右広場から約二〇メートル下った辺りからは、ロープ等がないと転倒する危険があるほどの勾配であることが認められ、そのため、夜の闇の中を何らの照明器具も持たずに本件吊り橋まで行くことが困難であると考えられる。《証拠省略》によれば、北上警察署及び二郎の死体検案を担当した赤坂祐三らは、二郎の死亡時刻を昭和五八年七月一三日午後一一時と推定したこと、本件車両転落箇所から本件吊り橋に至る付近には、懐中電灯その他照明器具が遺留されていなかったことが認められる。従って、二郎は本件吊り橋には行っていなかったとも考えられないでもない。しかしながら、《証拠省略》によれば、二郎の死亡時刻の推定は、二郎の家出時刻、死斑、死体硬直の部位及び強弱、直腸温、腐敗の程度、眼球の混濁等だけを総合的に勘案して、前記時刻を推定したに過ぎないものであることが認められ、右死亡推定時刻と実際の死亡時刻との間に一日や半日程度の誤差が生じることは十分に考えられるので、二郎が夜が明けた一四日になってから死亡したと考えれば、先の疑問点が解消され、右の事実は、二郎が本件吊り橋から投身したと推認することの妨げになるものではない。

3  遺体の状況と車両転落箇所ないし車両発見箇所の状況について

《証拠省略》並びに前記認定事実によれば、二郎の遺体発見に先立って一七日午前九時三〇分ころ、本件吊り橋から約三〇〇メートル上流の南本内峡の河原の本件車両転落箇所の対岸の水面近くの河原に、二郎が失踪する際に運転していた前記車両が、車体の屋根を下にした状態で発見されたこと、同車両は、車体の上下、前後、左右等全体に渡って凸凹に損壊していたこと、窓ガラス全部とほとんどの前照灯、尾灯も破損し、四つのドアはいずれも開かない状態であったこと、右ヘッドライト及びパーキングライトのフィラメントの燃えた形跡がなく、ライトのスイッチがオフの位置にあったこと、エンジンキーはオンの位置にあったこと、車両右前バンパー付近には雑草の付着があったこと、車両が位置する現場の西側は、幅員約六・五二メートルの南本内川を隔て、傾斜角約五〇度高さ約六九メートルの雑草、雑木林等が密集した崖になっており、その崖の上に前記林道が南北に通っていること、西側崖は、水面から高さ約三メートルまでは岩肌が露出しており、その岩肌の上の雑木林が幅約一メートルのトンネル状に枯れていたこと、その近辺に淡紅色のランプ類の破片やガラス片等が散乱していたこと、トンネル状の雑木林の更に西側上方の崖には白色塗料やモールが遺留されていたこと、擦られて樹皮が剥離された高さ約〇・四メートルのウドの木があったこと、右ウドの木から、白色塗料、モール、雑木林のトンネル、車両の位置までは、これらが、ほぼ直線的に続いていたことが認められ、従って、本件車両は、右林道からエンジンをかけたまま、南本内峡の河原に転落して大破したことが認められる。

右事実を前提に、二郎が搭乗して本件車両が南本内峡に転落する途中で車外に放り出されて墜落した可能性について検討する。

《証拠省略》によれば、本件車体の内部に、血痕、毛髪、衣類の切れ端は一切残ってなかったこと、車両が発見されたとき、車両周辺の河原の上に、二郎名義の自動車運転免許証、カセットテープ、前掲甲第二九号証の書類の入った鞄、名刺、車両の部品がまとまって落ちていたが、二郎の衣類、身体の一部その他車両に同人が搭乗していたことを示す物は、そこに落ちていなかったことが認められる。また、証人赤坂は、車両に人間が搭乗したまま転落した場合、その遺体の特徴として胸部骨折のあるのが通常である旨を証言するが、前記認定のとおり、二郎の遺体の胸部には損傷がなく、しかも、《証拠省略》によれば、本件車両のハンドルには、折れ曲がるなどの異常がなかったことが認められるから、車両転落時に、車体内部においてハンドルに対し、人間の胸部等による力が加えられなかったことが推認される。更に、本件断崖は、傾斜角約五〇度、高度約六九メートルであるから、もしそこを人間が転落したのならば上下肢等身体の全体に渡って骨折が生じるのが通常であるにもかかわらず、前記認定のとおり、上下肢等に骨折箇所がなく、頭部だけに骨折が集中していることは不自然である。更に、《証拠省略》によれば、車体の外部を捜査しても血痕、毛髪、その他身体の一部等の付着は確認されなかったことが認められる。そのうえ、《証拠省略》によれば、遺体発見時の着衣の乱れた状況というと、ズボンの左ポケット下のところにカギ状の破れと左後ポケットに物にこすれたような破れがあり、ワイシャツがややズボンからはみ出て、ワイシャツの一番上のボタンから外れていたことだけであり、両足に異常なく短靴を履き、ネクタイをして、ネクタイピンも取れずにワイシャツに差し込まれたままの状態にあったこと、ワイシャツの左胸ポケットにハンカチが入っていたこと、ズボンの右側の補助ポケットがついたポケットに、現金一〇〇〇円札九枚、一〇〇円硬貨四個、鍵五個在中のキーホルダー付き財布が補助ポケットを押すように入っていたことが認められ、《証拠省略》によれば、林道と南本内川との間の断崖には、草木が繁茂し転落の障害が多いのに、遺体の着衣は、前記高さの断崖から転落したとは思われないほど整った状態であったことが認められる。また、《証拠省略》によると、石川は、同月一九日、車両が転落する際にたどったと思慮される崖面を捜査したが、崖面途中にはやはり血痕や毛髪は勿論、衣類等の二郎の所持品、着装品も発見するに至らなかったことが認められる。そうすると、右の事実に徴すると、二郎の顔面鼻部の脳に届く損傷は、車両が転落する途中、車体の下敷きになって生じたものと考えることは困難である。

もっとも、《証拠省略》によると、原告太郎は、同月二三日、北上警察署に対し、原告花子が二郎の遺体が身につけていたズボンを洗濯していたところその右側のポケットの中の補助ポケットからガラス片を発見した旨及びマツダ自動車販売の社員に右ガラス片を調べてもらったところ本件車両の運転手側のサイドガラス片であると言われた旨を報告し、前記一郎が同日右ガラス片を川尻派出所に提出していること、また、翌八月二日には、一郎が北上警察署に対し、遺体発見箇所より約四キロメートル下流で二郎が失踪時に着用していたクリーム色のジャンパーを発見した旨を報告し、同月一〇日ころ、同署に届け出たことが認められる。

しかしながら、《証拠省略》並びに前記認定事実によれば、遺体を発見して直後、原告会社の作業室において遺体の検視を行った際、小田島らがズボンの右ポケットの補助ポケットから中布を出して指を入れて見分したが、ガラス片を発見しなかったこと、小田島らが、前記補助ポケット以外にも、遺体の着衣のすべてのポケットを調べ、ポケットの布を外へ取り出して見分する方法と、中布をポケットの中に入れてやる方法をとって調べたものの、ガラス片は出てこなかったことが認められる。そうすると、ガラス片の入りやすいポケットから発見されず、最も入りにくい補助ポケットからガラス片が出てくるのは不自然である。《証拠省略》によると、本件車両の領置関係については、車両は、既に同月一七日の段階で二郎の遺族に引き渡されていること、車両が発見された河原にはガラス片が大量に落ちていたこと、それゆえ、二郎の遺族としてはいつでも本件車両のガラス片を入手できる機会があったこと、原告太郎は、同年七月一七日の菊地久栄巡査部長の事情聴取に対しては、二郎は家族と意見が対立して家出をしたこと及び自殺の虞れがあることを供述しながら、同月二七日には右供述を翻し、石川に対し、同原告の右菊地に対する供述調書は内容を菊地が勝手に記載した調書であるとして異議を述べ、右調書中意見の対立の箇所と自殺の虞れの箇所の供述部分を削除させたことが認められる。《証拠省略》によれば、原告太郎らは、北上警察署が下した自殺の認定を非難するビラを配布するなどの行動をとっていたことが認められる。これらの事実に徴すると、死体の着用していたズボンを改めて洗濯しガラス片を発見したという行動自体不自然であり、二郎のズボンから発見されたと称するガラス片の提出は、原告太郎らの事後工作によるものとの疑いが極めて強く、本件車両が林道を転落した際、二郎は搭乗していたことの証左とすることはできない。なお、本件吊り橋の下流から発見されたとの前記ジャンパーの存在も原告主張の事実の証左となり得るものではない。

4  遺体の状況と南本内川の状況について

《証拠省略》によれば、本件車両が発見された地点から本件吊り橋までの南本内川の状況は、普段浅い流れで白く波立っているところがあり、また、石や岩が水面上に出ている箇所や、川幅の狭い箇所もあること、二郎が失踪した七月一三日夜から同月一七日までの降水量はほとんどないに等しく、特に川の増水はなかったことが認められる。そして、《証拠省略》によれば、遺体は、半袖のワイシャツを着用して両腕を剥き出した状態で発見されたが、右のような川の状況から生ずるであろうと思われる岩等にこすったような死後損傷もなかったことが認められる。また、遺体の着衣がさほど乱れていないことは先に認定したとおりである。従って、車両発見場所から二郎の遺体が本件吊り橋の下まで流れてくることが物理的に可能であるとしても、二郎の遺体にはそれを認めさせるに足りる形跡がなかったのであるから、本件車両が転落した際、二郎は搭乗していなかったと考えるのが自然である。

5  江守鑑定及び同証言の信用性について

《証拠省略》及びこれにより成立が認められる甲第二号証(以下「江守鑑定」という。)、《証拠省略》によれば、前記林道は秋田県東成瀬村に通じる非舗装道路で所々に大小の岩もあること、車両転落箇所と目される前記地点は、東成瀬村方向へなだらかな昇り勾配でかつ緩やかなS字状のカーブの先で、本件転落場所の手前から東成瀬村方面に向かう右回りのカーブのほぼ先端に付近に位置すること、本件林道の入口(前記認定の三差路)から本件車両転落箇所付近までの車両の安全な走行速度は時速三〇キロメートル程度であること、右転落箇所付近の林道は、幅員約二・六メートルで、東成瀬村方向に向かって右側の路肩はすぐ山になっており、左側路肩は有効幅員から約五・六メートルで崖になっていること、前記ウドの木及び土砂が削れたような二つの痕跡は林道左側の路肩にあり、ウドの木の樹皮が剥離されていたのは林道側から南本内峡の方を見て左側であったこと、また、別紙見取図記載のとおり、林道の路肩部分にあった前記の二箇所の土砂の削れたような痕跡は、ウドの木(E)の左側のところに約二・二メートルの長さのものが一条あり(BD)、その先端部のD付近の茅が倒れていたこと、そして、BDの痕跡の左側にBDと平行に近い形で長さ約一・三メートルのもう一条の痕跡があり(AC)、A点とB点との間隔は約三・一メートルであること、前記白色塗料痕は、D点から東成瀬村方向へ水平距離にして六・三メートル、路面から約一〇・六メートル下の崖にあり、前記モールが塗料痕の真下約〇・九メートルの位置に遺留されていたこと、本件車両の最小旋回半径が約四・六メートルで、車体の前輪トレッドが約一・四メートルであることが認められる。そして、二郎が車両に搭乗したまま南本内峡に転落するに際し、前記の土砂の削れたような二条の痕跡を同時に作ってウドの木を損傷し、かつ前記認定の位置に白色塗料痕とモールを遺留するには、江守鑑定書中に記載があるように、横滑りをし、車両の左右前輪で右二条の痕跡を印象し、車両後部を大きく右に振った状態で転落しなければならないと一応いうこともできる。そうすると、証人江守が証言するように、右に認定したとおりの道路状況及び走行経路のみからすれば、二郎が本件林道を適正速度を超える速度で走行中、何らかの障害等により過って、三回左右にハンドルを転把せざるを得ない状態になり、そして、山に当たりそうになってそれを修正するために大きく左側にハンドルを切った際、本件林道から横滑りをして逸脱し、転落したと考えることも不可能ではない。

しかしながら、《証拠省略》によれば、北上警察署の警察官らは、あくまでもAC、BDの二条の痕跡が本件車両によって生じたものであると仮定して捜査をしていただけであることが認められ、右二条の痕跡がいずれも本件車両のタイヤ痕であることを確認するに足る証拠はない。また、前掲乙第七号証の二末尾添付の写真及び証人石川の証言により成立が認められる乙第一二号証末尾添付の写真をつぶさに見るならば、本件車両転落箇所とされる付近には、AC、BDの二条の痕跡以外にも、ウドの木の周辺の路肩には、車両がそこから転落したとしてもタイヤやボデーの痕が付きにくい地肌の露出した固い部分があること、蓬が、ウドの木に接触するほど近接して生い茂っていて、その蓬も損傷し、白色塗料痕の近くに抜根の蓬があったことが認められ、従って、本件車両は、むしろウドの木の辺りから転落したと考えるのがより適切である。そうであれば、右二条の痕跡が本件車両のタイヤ痕であることを前提に、本件車両の転落状況を判断することは不当といわざるを得ない。そして、右二条の痕跡を証拠として決め手となる価値のないものとして考えると、右認定の事実や、本件車両が車体の前後左右上下等全体に渡って凸凹に損壊していた事実からは、結局、単に本件車両がウドの木の辺りから本件林道におおよそ直角になるようにして回転しながら南本内峡に転落して行ったという事実を認め得るにとどまり、二郎が不適正な高速度で走行中、誤って本件林道から逸脱して転落した事実までは、到底推認できるものではない。

仮に、右二条の痕跡を本件車両のタイヤ痕であり、車両が断崖から転落する過程でその痕跡を残したと仮定すると、右二条はそれぞれC点、D点で途切れることなく断崖まで続いているものと考えるのが自然である。ところが、《証拠省略》によれば、C点と断崖との間にはなお約三〇センチメートルの余裕があり、その部分は、盛り土となって若干高くなっていること、D点も同様に断崖との間に余裕があり、その部分に生い茂っている茅が踏み倒されておらずそのまま立っており、C点D点いずれも断崖より手前で途切れていることが認められる。また、《証拠省略》によれば、BDと林道との間(BDより山側)に路面より約六五センチメートル高くて長細い盛り土部分があることが認められるから、江守鑑定及び同証言のとおり、本件車両が横滑りをしながらウドの木の方へ移動したとすれば、車両後輪はBD横の盛り土部分を通過することが予想される。ところが、《証拠省略》によれば、右盛り土部分には何ら削られたとか、ぶつかった形跡がなく、車両後輪が盛り土部分を通過した痕跡がなかったことが認められる。更に、《証拠省略》によると、南本内峡側にハンドルを大きく転把して横滑りしたのは、山側に当たりそうになり、それを修正するためであったとするが、《証拠省略》によると、本件転落現場付近の山側の路肩は軟らかい土であるにもかかわらず、そこにはタイヤ痕等が残っておらず、車両が山側の路肩にはみ出した形跡がなかったことが認められる。また、江守鑑定は、その末尾に添付する図1の平面図にAC、BDの二条の痕跡を図示し、同鑑定書の本文中に両痕跡を延長するとその間隔が約一メートルとなる旨を記載するが、《証拠省略》によると、A点が路面より〇・三五メートル、B点が路面より〇・三メートル、C点が路面より〇・四五メートル、D点が路面より〇・六五メートルの高さにそれぞれあるだけでなく、AC、BDの痕跡の辺り全体が凸凹になっていること、《証拠省略》中にも前記痕跡の間隔が約一メートルである旨の記載がないことが認められる。従って、右鑑定が前記のとおり両痕跡の間隔を約一メートルと判断したことについてはその正確性にかなりの疑問が抱かれ、それゆえにAC、BDの痕跡と本件車両の前輪トレッドとの間隔が一致しないという事実を確定された前提事実として状況の推論をすることには無理がある。ところが、同鑑定は、本件車両の前輪トレッドと前記痕跡の間隔が一致しないことを前提に、車両が痕跡に対して約四五度後部を右に振って横滑りしたとの事実を推認しているから、鑑定資料の分析判断に誤りがあるものといわざるを得ない。そうすると、AB、CDの痕跡をタイヤ痕と仮定したとしても、江守鑑定及び同証言のような二郎が本件車両を不適切な速度で走行中車両が横滑りして転落したという結論が合理的な推論とまでいい得ないことは明らかである。

以上によれば、二郎が搭乗したまま本件車両が南本内峡に転落する過程において、AC、BDの二条の痕跡を残し、ウドの木を損傷し、白色塗料痕とモールを断崖途中に残したとする江守鑑定及び証人江守の証言は、根拠薄弱であってそのまま採用することができない。なお、同鑑定書は、二郎の顔面の損傷が転落する車体の下敷きとなることによって生じたこと、遺体のズボンのポケットからガラス片が発見されたこと、四キロメートル下流で二郎のジャンパーが発見されたことも、鑑定の裏付けとしているが、右事実が本件車両転落箇所より二郎が落下したことの証左となし得ないことは先に説示したとおりである。

6  以上検討したところによれば、二郎は、昭和五八年七月一三日夜一〇時ころ、前記車両に乗って失踪し、同夜もしくは翌一四日朝、林道三一五林般において、自分は車両を降りて車両だけ南本内峡に転落させ、その夜が明けた後本件吊り橋まで来て、吊り橋の上から投身自殺したものと推認するのが相当である。そして、自殺前に車両だけ転落させた行為は、その行為の動機がどこにあるのかの検討をさておいても、右のような自殺を推認するに格別障害となるものではない。

従って、抗弁2(一)の事実はこれを認めることができる。

よって、二郎の死亡は、被保険者の自殺行為によるものであるから、被告らは本件保険金を支払う義務がないというべきである。

三  以上の事実によれば、本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鬼頭季郎 裁判官 菅野博之 櫻庭信之)

〈以下省略〉

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